思考のメモ

 考えていることが上手く纏まらなくて気持ち悪い。各論的には整理できるのに、それらを関連して語ろうとする途端ばらばらになってしまう。関連が無いのか、それとも各論が不足しているのか。んー、他の要因っぽい。非常に気持ち悪い。

というわけで各論のメモ
  • 文脈はマップ構造っぽい。ジャンル等で分類したときは流れとして見れるんだけど。
  • 大衆的なもの=KissKissBangBang。悲劇と喜劇も大衆的な感じがする。意味ではなくニュアンスの交換が発生すると文学性を感じるのかも。
  • 言葉には定義の他にニュアンスがある。ニュアンスを言語化する必要がある場合がある。
  • 洗練と先鋭化の違いは、複数の文脈を束ねて一つにすることと、一つの文脈を強く打ち出すことの違いか。
  • 萌えってイノセントの記号に、性欲を否定したい願望と、性欲に錯覚しがちなかわいい印象を受け取ることかな。
  • 文学作品のキャラクターに萌えを感じるのは、斉藤環が指摘する偶像の虚構化によって記号としてのイノセントが発生して、そこに萌えているのかもしれない。
  • やっぱり萌えはポルノではないと思うのだが、更科修一郎はなにをもって萌えを十代のポルノと言っているのだろうか。
  • オタクがキマイラ化しているのは間違いないが、どんな動物を使ってキマイラ化しているのかがわからん。
  • 濃いオタクは文脈への執着する人たちのことかな。
  • 萌えオタが馬鹿にされるのは、萌えーって言っている時に文脈へ意識がいっていないからかな。それ以外のときに文脈への意識が保証されていないと、濃いオタクからは「あんなんオタクじゃねぇ」と言われると。
  • ヌルオタは文脈を意識する、べき論的オタクの概念から外れるからか。
  • 異常な消費を特徴とされたりするのは、なんでだろう。目立つから、ではないと思うのだが。趣味に金を使うのは普通のことだけど、案外趣味を持っていない人って多いのかも。けど女性は服にすげー金を使うよな。あー、社交性に関連するのか。社交的なものに金を使うのは無駄じゃないけど、そうでないのは無駄ってことか。
  • ここら辺がオタクと一般人の日常に関する認識につながるのかも。
  • 意味の交換から感覚の共有へ、コミュニケーションの形態が変わっていっていることは間違いないだろうけど、どうやって論理的な保証をすべきか。東浩紀辺りが強度の交換と言っていたような。交換が起きていない気がするんだよなぁ。ネットがこのコミュニケーションを推し進めているのは間違いないだろうな。結果、文脈を共有している人じゃないとコミュニケーションをとれない人たちが出始めていると。
  • 「これだからゆとりは」という発言自体に意味の交換を否定するようなコミュニケーション形態が見出せるのが皮肉だよなぁ。非常にゆとりっぽい発言だ。
  • 斉藤の著作に文脈病というのがあるらしい。なんか今書いていることが東や斉藤の言っていることの言い直しな気がしてきた。