鳥は自由に羽ばたかない
なんかマーケティング所感を書こうとしたら、ネギまの話になった(笑。
マーケティング
最近の日本人の消費行動には傾向があるそうです。
- 近くの人が密集している方へ向かう
- 近くの人たちと同じタイミングと方向性を合わせようとする
- 近くの人たちと似すぎないようにする
この様な消費行動なわけですが、鳥に喩えるとわかりやすいです。
- 近くの鳥が密集しているほうへ向かう
- 近くの鳥たちと同じ方向、同じ速度で飛ぼうとする
- 近くの鳥や物体に近づきすぎたら、ぶつからないように離れようとする
こういった行動形態は自然界の動物の群れによく見られる行動で、CGなどの作成に動物の行動アルゴリズムを上記のようにしてやると「らしく」見えるそうです。
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価値観が多様化しているという言説を非常に胡散臭くみていたのですが、消費行動では多様化とはいえない状況が想定されているわけですね。
なんでも言い出したのはノムソウらしいですよ(ハロー効果狙い)
これを図形イメージにすると以下のような形でしょうか。
点が個人ですね。で、こういった集まり方をクラスタとか呼んだりするわけです。
最近のヲタはけしからん! オタクは死んだ! というか、こういった集団形成の方法がだいぶ変わったからじゃねーかなぁ、とか思っていたわけですが、作品にも影響はあるか? というお話で、ペトロニウスさんの記事
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081220/p1
がタイムリーにリンクしたので、ちょっと面白い話ができそうです。
ネギま
ある特定のクラスタが消費でつながっている場合、作品の供給が停止した場合、他の密集しているところへ向かうわけですから、今まであったクラスタが拡散するわけです。そして作品が再供給されるとまたクラスタが発生するわけですね。
つまりクラスタの帰巣本能(忠誠心と言い換えてもいいかもしれません)を強くすることが、現代日本におけるキーになっているのかもしれません。
さて、読者の傾向として
主観とされている一人称から、ずれて感情移入する性癖がある
とペトロニウスさんは記述されていますが、これは少し違うのではないでしょうか。
クラスタ内の密集状況が小クラスタである状況は、ネギまファンの間にもそれぞれのキャラのファンがいる状況です。ネギまクラスタのみに注目してみましょう。
「主観とされる一人称」への感情移入するかは、最初の一羽が「主観とされる一人称」に向いて飛ぶか、と問題を定義できます。
ネギまファンの間で最初の一人がネギに感情移入するか、です。
ところがネギに最初の一人が感情移入したとしても、クラスタ内にそれが伝播する前に誰かが他のキャラ(例えばユエ)に感情移入したらどうでしょう?
赤がネギへの感情移入、緑がユエの感情移入、黒が無指向です。
それぞれのキャラを指向したクラスタ形成を1キャラのみに向けることは可能でしょうか。短期的には可能かもしれません。鳥は石を投げれば飛び去りますし、えさを投げれば向かっていきます。
このえさがキャラだとすると、キャラをピックアプして注目させればそこに向かうことになります。
ですが、鳥の性質に着目すると
- 時間と共に密集する
- 密度が高まりすぎると拡散する
なので、1キャラをずっとピックアップしたとしても2.によって拡散してしまいそうです。
この上で操作を試みると
という流れを想定できるわけです。*1
さて、こういったことを考えて
やはり根源的なレベルので「質」の高さ、、、ここでは、大きな物語的な、タイトなドラマツゥルギーによる熱量というものも要請される
のはなぜだろうか、という疑問を解いてみると、なんらかの規範としてドラマツルギーが必要とされているのではないでしょうか。
先の話から
- 最初の鳥が飛ばなければ飛ばない
- 最初の鳥が飛ぶのは外圧か、インセンティブによる
ということも、まぁいえるでしょう。
先ほどのキャラをピックアップするということは、最初の鳥に指針を与えるということです。一方で萌えの機能が、記号をエピソードに補完して「箱庭的永遠の日常」を楽しむものだとすると、鳥からしてみればどうやって飛べば「箱庭的永遠の日常」へ到達できるのかという話になります。
鋭い人はもうお気づきかもしれません。ドラマツルギーは、このエピソードを取得するためなのかもしれません。
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それはともかく、普通*2ストーリーをデザインするためにエピソード(断片)が描かれるわけですが、逆にエピソードのためにストーリーが存在することもありえるわけですよね。
たとえば「ルイズがデレるシーンが見たい→サイトがカッコイイことする→敵軍に単身突撃するストーリーができあがる」みたいなね。
つまり断片の雛形・モデルとしてドラマツルギーを提供している。すると断片の雛形にならない部分は省略してもよいことになりますね。
さて、ここまでの考察で必要なのは雛形だとなりました。
では、もっとも優れた雛形ってなんでしょうか。一つの回答として現実が上げられます。現実は非常に多くのエピソードのパターンを与えるでしょう。
つまり世界を再現すれば、それはエピソードを豊穣に生み出す雛形たりえるわけです。
ドラマツルギーが中心でありながら、売れに売れた作品Fate/satay nightについて以下の記事を書きました。
この先生きのこれない - Nobody tells the story
設計と筋がちゃんとしていると、読んだ人がちゃんと補完してくれるよ、と言い換えられる。読者が設計から帰納的に物語を紡げるツクリになっているのではないかなーと思うのである。
なんてことを書いているけど、ここがポイントなのかもしれない。
- 設計が十分なら雛形足りうる
- 消費の指向が明からならば消費する
この二点なんじゃないかなー、などと思うのでした。