世界とかセカイとか

 ここのところ考えていたことを纏め。哲学とかそういう畑の話になるのかな? ただアカデミックな話ではないので、話半分でよろしくおねがいします。

事実と現実と真実

 事実と現実と真実を使い分けたりします。現実は脳みそが捉えている世界の在り様で、真実は現実から推論される事実であり、事実は本来的な世界の有様ですね。んでセカイは現実で世界は事実。ここで重要なのは、事実は語りえないものであるということ。人が話すことが出来るのは、現実と真実まで。人は現実を介して事実に影響を与えることは可能かもしれませんので、そう悲観的な話ではなかったり。

主観とか客観とか

 真面目に哲学とかやっている方が客観と言ったら、客観的主観のことをさすのでしょうが「客観的」と不用意に言うのはよろしくないでしょうね。下手すると「自分の主観を一般化させて」って言われますから。客観なんてできるわけないので。
 人間は主観でしか物事をみれないわけですが、他人の主観にシンクロさせることは出来るわけで、そうやって主観を広げたり修正したり擬似的に分裂させたりは出来ると。そういった能力を、ポストモダンからこっち切り捨てようとしている方がいたりしますね。言い訳としてのポストモダン

コミュニケーション

 んで、コミュニケーションには二種類あって、自分の主観を肯定するためのコミュニケーションと広げたり引っくり返すためのコミュニケーションがありますね、と。前者ばかりやっている人は、狭い人間になりがち。後者ばかりやっていると不安定な人間になりがち。

世界とセカイ

 んで、世界(真実的な意味で)について語るのかセカイ(現実的な意味で)について語るのかで、コミュニケーションにずれが生じたりするよな、と。
 だいたいセカイについて語れば人間偏るので、偏っているだろって突っ込みはおかしい話になるかなと。そもそも正しいことは言えず間違っていることしかいえないわけで。まぁ、間違っている中でって、ここら辺、どっかで読んだな。
 このセカイについて語ることは誰にでもできるんですが、それがユニークであったり価値があることは少ないので、あんま語っても意味ないなと思う。それなら世界について語ることになるのですが、これはロジックとかそもそも頭がよくないと語れないよなと思う次第。もうちょっと自分の頭を賢くしないと駄目ですね。
 というわけで、本について語る分にはあまり問題がない(というのも他人の主観にシンクロしてみたものを語るわけだし)ので、レビューに絞ろうかなと。