正論は誰も救えない

 正論は誰も救えないし、どこかの誰かを傷つけるだけだ。正論で救われるような人は、正論で救わずとも勝手に救われる人々だ。救われない人びとに憤慨し、傷つけるために言葉を吐くならまだ理解できるが、そうでないならやめた方が良い。正論なんて言われて気付くことはあっても、言われて知ることはないものだ。つまりほぼ無意味。
 正論を言う人は、皆が「充実した生」を過ごしたいと思っている節がある気がする。そういった意見には、ダウナー系な僕にはめんどいし疲れるし、内輪で盛り上がっていてくれねーかなぁとつぶやきたくなる。
 じゃぁ僕はどのような生を過ごしたいのか。ダウナー系を自認する僕の世界の捉え方は減点法である。世の中の現象はどちらがましか? どちらが不満がすくないか? という評価基準である。だから充実した生など持ちようがない。「不満のない生」つまり欠点がどれだけ減ってくれるかという話なら聞く気になるんだが。
 僕以外にも少なからず減点法の世界観を持つ人はいるだろう。正論を好む人達にとっての「充実した生」を阻害する働きを正論はもつ。正論は人を傷つけるために使うものだと、理解して使って欲しいなと思う。僕も気をつけよう。