いつも感想中の感想

僕と合体しませんか? - ブログというか倉庫
 ほぼさんところの記事で、会話というのは広義のセックスだよね、という話があった。
 最近ディバフロの二巻を読んだみたいだから、僕としてはこう言いたい。
「セックスしていないで、さっさと続きを読むのに戻るんだ」
 だから主旨はそれ以外のなにものでもないので、セックスって嫌じゃね? という論旨を展開。けっこう嫌いだしね。本音としては読み終わるまで本番禁止と言いたい所だが、言わないのが僕の奥ゆかしいところである。

前フリはここまでにして

僕はセックスは人間同士が行う非常に日常的な事でありながら*1、最高の相互理解を目指す一つの方法*2だと思っていたりするんです。

 共感はするのだけど、僕はそうであるからこそセックスが嫌いだったりする。人間は絶対に理解しあうことはできない、という前提が僕にあるからだ。
 だが、理解は適わないからといって、理解が無意味だとは思わない。理解できないという前提があるからこそ、理解しようという意志の意味が、むしろ見えてくると思っている。
 僕は自分の利益だけを追う動物だけど、自分の利益も他人の利益も、両方追う方法だってある。例えば、相互理解は協和の可能性を高めるからだ。*1
 僕は理解することが大切だとは思わない、理解しようとする意志が大切だと思っている。だから理解のための方法は、いつも適切であるか考えたいし、分かったと勘違いしていないか常に疑い続けたい。
 セックスは確かに心が繋がる”感じ”がする。嫌悪するようになってから、純粋に性欲の解消の一手段としてセックスをしていた。女性が愛のあるセックスが気持いいと言ったりすることもあるようだが、愛のないセックスは気持ちよくないのだと僕は思っている。*2
 だがセックスは、気持ちよければ気持よいほど、人間の理性を麻痺させるし、肉体的に繋がっているから、なんとなく心も繋がっている気にさせる。僕はそれを繋がっていると、どうしても思えないのだ。
 僕にも異性となんとなく繋がった気持になれたと思う瞬間がある。モスバーガーでアップルパイか何か、甘いものを頼んで食べている時のことだ。一緒にいた当時の彼女にこう言った。
「最近、お菓子のことをスウィートって言うらしいね」
 彼女は噴出して、
「スウィーツなら言うよ」
 と答えた。僕は少しむっとしたけれど、彼女の続けた言葉に打ち消された。
「○○って、そういうところが可愛いよね」
 僕には、それがなぜ可愛いのか、全く意味がわからなかった。だからこそ、僕は彼女のことを分かった気になれた。わからないってことを分かったからだ。それでも心が繋がっていると思えたから、一緒にいられることを素直に幸福に思えたから、僕は彼女を分かった気になれた。
 相手を理解するって、理解できないことを実感できる瞬間に訪れるんだと思う。それはきっと、セックスでは得られない類の経験だと思う。だから僕はセックスに肯定的になれないのだ。
 ネットでの会話も同じことで、簡単に理解を放棄しようとしたり、簡単に理解した気になれる、そういう時が頻繁にある。それを乗り越えようとすることに意味がきっとある。だからセックスしたいという比喩はどうにも僕には受け入れがたいものを感じた。性的な意味で。
 読後感? 知ってるよ。食べたことないけど。

*1:説明は略、主旨から外れるし

*2:精神的な快楽の話