拡散するエンターテイメントと収斂する文学

 なんでエロゲは考察されるのか、これを考える時にエンターテイメントと文学性の葛藤が見えてくる気がする。
 エロゲの特性の一つに「マルチエンディング」がある。エンディングが複数あるということなのだが、これがADVやノベルゲーム、ストーリーを描くところへ持ち込まれたのがエロゲの特徴の一つだ。
 これによって可能性の記述が可能になったため、ストーリーが一つのところに収まらず、拡散するという現象が起こる。従来の媒体では、受容する側は否が応でも一つの話の決着に納得しなければいけなかったのだが、他の可能性ということに対しての市民権みたいなものを得てしまったのだ。そして可能性の分岐がよしとされているので、その可能性と可能性の間を想像することも可能である。
 つまりストーリーが拡散してしまっているのだ。
 これでは従来的な必然的な決着というカタルシスが得られないため、エロゲにはメタ視点が必要とされることになる。エロゲ史的にいえばYU-NOが出てくるような話だ。
 つまりエロゲのメタ視点とは、拡散するエンターテイメントを繋ぎ合わせて収斂させるグランドデザインなのである。

 頭が痛い。風邪だ。というか、もうここで言いたいことは分かる人が多いと思うので止める。僕の記事はそんなんで良い気がしている。