徒然と思うこと

 風邪を引いて頭が痛い。こういう体調のときはくよくよと良くわからないことを考える。なんとなく人の上にたつ人への要望めいたこと。
 組織の上に行けば行くほど、本質的にその人は要らなくなっていく。というのも、個人個人が組織に対して最適化され続ければ、人を纏める人はいらないからだ。
 ただこれには前提条件がある。必要な情報の共有と更新が密で、それぞれが組織に対する最適解*1を出し、それぞれの役割分担を見極めて実行できる、というあり得ない前提だ。そこで個人個人がそれを行うのは非常にしんどいというか無理なので、人を纏める人を置く。
 つまり、情報の共有と更新、課題の発見、課題の解決へのフローチャートの作成、役割分担という機能を移譲するわけだ。おかしな話だが、委譲と言ってもいいかもしれない。そしてそれを有機的に連結させることが、上の人の本質的な職務だと言って差し支えないだろう。これが更に上に行くと、対外組織の存在やその他諸々も含めた考えが必要になってくると。
 まぁ、この議論の欠点は人を機能としてみていることだ。上の人は機能ではなく人を動かす人なので、心労も多いことだろう。乙。
 で、上の人の問題は、上の人も下っ端経験があることだ。そうすると上の人は下っ端が、自分の与えた役割に対して最適化されていない行動をみると、ついつい口出し、もしくは手出ししてしまいたくなる。だから僕たちのすべきことは、上の人が我慢できる範囲になるようやるべきことをやることなんだろうなと想像。
 で、それを意識的にでも無意識にでも、上の人がわきまえてくれると下っ端はとても動きやすいし、上司として信頼できる。まぁ、ここらへんでやめておこう。上の人の職分の実際の実行に対して、僕が云々するのは愚にもつかない笑い話だ。というか、滑稽だし、議論として空虚になってしまう。*2
 ついでに想定される反論として、「課題を解決するための資材が足りないことなんて、実際には良くある話」というのがあると思うが、それは下っ端の考えることではなく上の人*3が考える事なので、僕には乙としか言えない。まぁ資材が足りないために、上の人が職務の本質に向き合えないと、下っ端も大変になるので、手を出さないで済むように多少の努力は考えないでもない。何ができるだろうね?
 僕は組織論や経営なぞ学んでいないので、なんとなく思うことです。だから穴は多いと思うので、上の人の意見というか、下っ端への要求も聞いてみたいと思う。たぶん与えられた役割をこなすのに十分な能力を持つよう成長しろとのお答えが帰ってきそう。

追記

 そういえば、中国や日本の人の上に立つ階級に生まれた人は、軍法などを教わる前に囲碁を教わるという話を聞いたことがある。こう考えるとよくわかる話だな。というわけで誰か一緒に囲碁をやりませんか? 楽しいよ。僕は下手だけど。

*1:もしくはベター

*2:わからないしね

*3:の更に上の人かもね