ディバイデッドフロント、再評価/もう我慢できない

ブラッド・ダイアモンドはアフリカ問題を気づかせたか?~人の心をえぐるもののほうが・・・ | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
 ディバフロについて触れられていたのでコメントしようと思ったのですが、我慢できず記事にするような内容になってしまいました。だから記事とコメントの間くらいで中途半端です。

コメントで問題ない話

世間というのものは「安易な導入や紹介」では、どうせ個人では解決ができないと、すぐにあきらめて無視をしてしまいます。

 ディバフロの一部を引いてマクロに介入することへの絶望を指摘されています。
 ディバフロに関して言えば、合成の誤謬*1の指摘がなされていたのに気づかず、導入のためのエンターテイメントとして読み取ることをしていませんでした。言われてみれば確かに隠されたテーマとして社会と私、というのも綴られていた様な気がします。再読しよう。
 ディバフロにおけるマクロとミクロの社会的関係性という視点の指摘はびっくりしましたし、ペトロニウスさんらしい視点だな、と嬉しくなります。
 合成の誤謬を指摘する物語は、どうしても克己主義に陥りがちで、感情移入度によって評価が変わってしまう、そんな印象があります。
 合成の誤謬という世界観自体を消滅させるか、物質的な世界を変動させるパワーをもった作品は……ちょっと想像がつきません。

コメントで問題がある上に、評論を待ってからいうべき話

 普段は批評にならないように気をつけているこのサイトですが、今回は批評よりかつ、コメントにしちゃいけないだろ、と自己中心的な僕にすら思わせるような内容です。だから反転。ctrl+Aかコピペしてメモ帳をご利用ください。


 ペトロニウスさんが仰っる「関係性の物語」と「成長物語」という対比を、僕も文脈として強く意識していて、ありがたく使わせていただいています。
 関係性の物語の文脈と成長物語の文脈の収斂された点として高瀬彼方作品を見ており、だから僕は信者であり、布教活動をしています。
 異端の発生、文脈の洗練と収斂、及び拡散は*2ひとつの創作物ジャンルにおいて非常に重要な意味を持ちます。そのターニングポイントが高瀬彼方である、そう狂信して止みません。
 関係性の物語が成長物語、マクロの物語に組み込まれて相関し、一点へ収斂されていく。オブジェクト指向の小説に置ける再現。僕の文脈が一つの作品によって収斂されていくのです。このカタルシスたるや!
 そしてディバイデッド・フロント*3のラストに置ける物語の拡散は、まさに新しい時代を告げる福音であります。
 ライトノベルの文脈において高瀬彼方は、そう! 神、いわゆるゴッドなのです。

 
 関係性の物語=永遠の日常
 成長物語=戦場*4と成長
 という見方がある。ここから引いて、高瀬彼方作品を「永遠の戦場」として位置づけられる。
 
 これって、僕にとってベルリンの壁崩壊くらいに重要なことで、
「おまえら今歴史が動いているんだよ? なんでみないの!?」
 という感覚が布教活動へ向かっているんだよなぁ。

*1:元来の意味より広義な意味として取り扱っています

*2:今度記事にします

*3:高瀬彼方の作家性に見出していますが、完結している作品が……

*4:これは職場なども含む