「人間」と「ロボットの進化の果て」の違いってなに?

恋愛は成立可能

 ロボットとの恋愛感情って、本当にありうるの?「時計じかけのシズク」 - たまごまごごはん
 興味深い記事です。実際ロボットとの感情交換が可能になればあっさりと恋愛する人が増えて、ロボットを持たない/持てない人がヒステリーを起こしそうだと思いますが(笑)。これからはモテナイじゃなくて持てないですね。
 さて、まずは恋愛は成立可能か? という問題ですが、可能ですよ。少なくとも僕は。
 そもそも他人に感情はあるか? という疑問がありますが、他人に感情らしきものを認めることはできるのは確かです。当然人間以外にも。例えば犬、猫ですね。
 つまり相手に感情らしきものがあると「感じられた」瞬間に感情交換が可能になるわけです。恋愛感情というのはだいたい「支配の欲求」と「独占の欲求」と「同化の欲求」と「他者の存在を確認したい欲求」かなと思うのですが、少なくとも前二つは満たしてくれますね。後二つは「相手が自律的」じゃないと感じられないものでそれで自我があるか、とかいう想像へ繋がっていくのでしょう。

ロボットの”思考?”

 我々は未来のことを色々と想像しますが、ロボットと人間を本質的に違うものとして取り扱っています。曰く「自我」があるか「感情」はあるか。少し視点を変えてみると、こういった疑問は凄まじい恐怖と共に「人間」への問いとなって帰ってきます。
 人間の主体を精神に捉える場合、脳が精神を作用させていることを疑う人はいないでしょう*1。この脳の作用としての精神は、物理的な意味での精神ですね。科学が保証してくれるのは、この物理的精神です。
 この物理的精神を作り出そうとすると、あなたがこの記事をごらんになっている、PCや携帯の演算処理をしているCPUが使われるわけですが、さてCPUと脳は何がちがうのでしょうか。
 コンピューターは物事を0と1で判断します。これを大量に重ねると判断を大量に増やすことができます。"00"には"a"を"01"には"b"を"10"には"c"を"11"には"d"を、こうやって意味を持たせれば2ビットで4つの判断が生じます。こうやって判断を増やしていくと、判断をするための判断、判断の意味を変える判断もできるようになってきます。
 そうした先に人工知能を見出すのは簡単でしょう。作るのが大変なわけですが。
 あらかじめプログラムされたものに従うだけで、自我なんて発生するのか? というツッコミが聞こえてきそうですが、では自分でプログラムを書き換えられるプログラムがあれば? あります。説明はめんどいので割愛しますが。遺伝的アルゴリズムとか創発性とか自己組織化とかで調べてください。
 けど曖昧な判断はできないだろ? というツッコミも聞こえてきそうですが、ファジィ理論とかニューロネットとかで調べてください。こっちは無知なので全力で流します。

では人間は?

 というか前段の問いってあまり意味ないんですよね。
 だって人間の自我って本当にあるの? 感情って本当にあるの? ただの電気的ネットワークやホルモンの分泌による作用はあるよ。けど、それが自我を発生させるかはわからないじゃない。ただの物理的作用を、なにか主体性のあるものとして人間が錯覚しているだけなのかもしれない。
 という疑問が発生するからですが、自我と人間が定義するものは、人間にあるものとして定義しているのですからあります。電気的ネットワークの作用に過ぎないとしても、人間はそれを自我と呼んでいるのですから。
 ここに有機物の思考する機械としての人間と、無機物の思考する機械としてのCPUが見出されるわけですが、有機物と無機物で違うじゃないかという疑問もありそうですね。ではCPUを有機物にしたら? それでも自我は発生しないでしょうか。
 極論すると「人間というシステム」をモデルにした「ロボットというシステム」を作ったときに、自我を認められるか? その自我を認めないときに人間の自我を認められるか? という問いがあると思います。

人間とロボットの違いは感情を他者に認められるか?

 僕は人間には自我があるし、ロボットだって持つことができると思います。突き詰めると大して差がないのですよね。結局相手に対して感情を認めることができるのか? という個人的な能力が終着点になる問題です。
 さて、ここまでややこしい事を書いてきましたが、難しいことを言っているつもりはありません。言いたいことはシンプルです。
 僕は単に人間以外にも感情を認められる人間である、ロボフェチじゃなくて、それが言いたいだけです。

#追記

 最近茶々丸がフューチャーされててうれしいです。

*1:当然脳以外も含めて感情が機能している可能性があります