製品の魅力と、初音ミクの魅力は別問題

焦点喪失

 http://d.hatena.ne.jp/araignet/20071020/1192811893を読んだけど、タイトルと論旨が一貫していないので、意味がわからない。この後に書かれた記事を読んで、やっと意味がわかるようにできている。
 初音ミクの意義はどこにあるのか - 萌え理論ブログでの反論は、視点がマクロでちょっと行き違っているように思えます。ミクロな意見を返すのが適切だとおもう。
 論点が二つあるので、記事の主旨を二つにわけて考えてみる。一つは初音ミクの魅力について。もう一つはCGMについて。
 

まず論点の整理

 ごっちゃにするべきではない事をごっちゃにしているので、そこを切り分けるところから。
A)初音ミクの魅力
B)CGM
 これは前述の通り。肝心なのは(A)の中でごっちゃにされていることだ。
1)なぜミクはツールとして重宝されるか
2)なぜミクは広まったか
3)技術として革新的であるか
4)音楽の形態を作り変えるパワーを持つか
5)オタクに人気がある理由
 これらは全て別の話だ。混ぜるな危険、というのは色々な議論においても通用する金言だね。

魅力とは

 なんでもそうだけど、欲望を達成してくれることが「魅力」です。
 僕個人で言えば、物語を消費したいという欲望をもつので、「革新的であること」のストーリーを魅力的だと思う。けど、「革新的であること」自体には、さっぱり魅力を感じない。「革命」という言葉にエクスタシーを覚える、というのは理解できても共感はできん、ということ。共感できないことに理屈をつけて、価値のないものだと言うのは不毛だよ。
 

初音ミク

1)ミクのツールとしての魅力
 それは表現が簡単にできることでしょう。
 人間の欲望の一つに「表現したい」という欲求があるのは間違いない*1。日本にブログがこれだけあるのを見れば、だれでも納得すると思う。
 感覚や理屈、意見は文章であったり、音楽であったり、絵であったり、色々な媒介で表現される。どのような媒介であっても、技術と素養が必要とされているので、表現への欲求を達成するのは難しかったわけです。女性の声が欲しい人は、金を払うか、頼み込むか、あるいは去勢ですか。そういったことをしなきゃいけなかったと。
 対してそういった煩雑さを必要とせず、便利に表現できるミクは、十分に魅力的でしょう。木の鍬で畑を耕すより、鉄の鍬のほうがよっぽど楽なように。ブログがhtmlによってホームページを作成するより楽なように。
 これは表現の敷居を下げる効果をもっています*2。裾野が広がること自体はすばらしいことだと思いますよ。
2)なぜ広まったか
 初音ミクというツールは、今までのものより、日本人にとって使いやすいツールとして「認知」されています。それは「ニコニコ」というフィールドによって得られた恩恵でしょう。商品が人気を獲得するのは、実際にどうであるかではなく、どのように認知されているかによります。
3)4)については僕は語りうる言葉を持たないので沈黙しておきます。初音ミクの魅力については語れたと思うし。
5)オタクに人気のある理由
 オタク的文脈でパッケージングされているからです。パッケージング(売り方)を嫌うのは、ただ単にオタク*3が嫌いなだけだと思います。これってミクの機能的な問題とは違う問題なんだよね。
 

CGM

 要するにCGMによって「表現が大衆化する」のを嫌悪しているのだと思います。洗練された文脈でのみ楽しめる、輝くものは確かに存在し、それが芸術性を帯びるというのは事実です。CGMが大衆化を推し進めるのも事実でしょう。特にニコニコのコメントは、意味を伝える文章ではなく、感覚を共有するためのコメントであることが多いです。だから初音ミクを例証にするのはわかりますが、スケープゴートにするのはおかしい。
 「大衆は豚だ!」「大衆から脱却する意志をもて!」って叫んで電波扱いされるのが、誠意ある対応というのは物悲しいですけどね。旧来的な意味でのオタク的性質を多分に持っている僕は、「大衆は豚だ!」と思いながら大衆的なものを愛好する性質*4なので、複雑な気持ちもあるのですけど。

#追記

 まったく関係ない話なのだけど、よい機会なので布教活動です。ライトノベル作家高瀬彼方さんの作品をよろしくお願いします。
 つまりこの記事を読んだ人に勧めることは三語に尽きる。買え! もっと買え! とにかく買え!
 高瀬彼方布教記事
 高瀬彼方、絶賛して布教中 - Nobody tells the story
 ディバイデッド・フロント - Nobody tells the story

*1:マズローのモデルだと3〜5のどっかに該当すんでしょうよ

*2:これが鉄の鍬との違い

*3:それに付随するオタク的文脈

*4:大衆的な文脈の中で洗練されたものを好む性質