アイディアだけで微妙だけど
コンピュータの作業をざっくりと分けると、入力――処理――出力の三つになる。これを脳というアナログコンピュータに当てはめて、それぞれを考えてみる。
- 入力
五感からの電気信号(data)として、脳の認知機能に訴えかけられる。認知機能はデータを生理的な情報*1に加工する。情報は影像(image)として記憶される。影像として記憶する際にも加工が行われる。
- 処理
影像に対して、ある目標をもって情報の加工が行われる。加工された情報を、価値つき情報と呼んでおこう。
- 出力
口頭、映像、文章といった媒介の選択。媒介に応じて叙述の方法を決定する。
入力に関するメモ
認知機能、人によって大差はないと思われる。*2人が生来的に必要としている機能というのは、そこまで大差がないからだろう。
影像の記憶には、人によってかなりの差がでる。恐らく、記憶すべきでない情報を記憶しているほどの余裕がないからだろう。その人が着目するもの*3を中心の影像となっている。刺激に関して、大差のないことがあるので、一見すると大差がないと思えるときもある。
処理に関するメモ
その人の目標によって、かなりのバイアス*4がかかると思われる。よく言われる「論理的な思考」「感情的な思考」という分類が、バイアスが主なものか。目標に対して適切なバイアスをかけることで、効率的な思考が生まれると思われる。
賢明さや熟考できるかという性質的なものをどのように判断すべきか。そもそも存在するかが疑問。バイアスのかけ方に慣れているか、慣れていないか、そういう類にも思えるが、天才と呼ばれる人は確かに存在する。
思考というものがなんであるか? というのは大きな疑問。一つは哲学的な意味合い、もう一つは電気的なネットワークの作用として。
出力に関するメモ
んー、いろいろ考えてみているがさっぱりわからん。文字の並びのパターンに情報をこめたり、「パターン」が深く関わっていることは間違いないのだけど。
皮膚感覚的な表現はプリミティブなものなんだなぁ。暴力や抱擁というのはプリミティブなだけに強い伝達力をもつのは確かだ。踊りや歌も様式化していないものにはプリミティブな力があるな。規則性に意味を作らないものほど幼稚だが強い、感覚に訴えかける力がある、のかな。
感覚的なものを論理をもって訴えかけようとするのを見ると、なんとなくいやな感じがするのはここら辺が原因かな。