エヴァ破についてぐだぐだ

エヴァを見ていたのは、たしか中学生くらいのことだったとおもう。
「雨の日は憂鬱。本当は外に出れば何か良いことがあるかもしれないのに」
そのセリフを聞いて、当時の僕は
「実際どうだろうがどうしても憂鬱なんだよなぁ」
などと思っていた。まさにチルドレンとして物語を受容していたのだろうし、アニメによって語られる存在だった。今からすればあの閉塞感やナイーブさは、どこから来たのだろうかと疑問である。
新劇場版の破を見て、小さな差異が積み重なって、物語の展開が大きく変わるのだなぁと思った。それこそキャラクターの気分レベルでの違いが、新劇場版のループを別のものにしている。
人類保管計画の次数が大きくなっているので、ループであることは間違いないだろう。その27だったか、それくらいの繰り返しを超えて、キャラクター達は成長したのだろうか。
ところで冬月が「タイプ」と使途をみて言っていたけど、ネルフはループに気づいているのかな。分類って蓄積がないとできないし。カオル君もよくわからんし。
そうそう、昨日id:hasidreamと飲みながらエヴァについて語っていたんだけれど、議論になった部分で
「このまま上手く行くかな」
というところ。僕は当然うまくいかないと思っている。
エヴァは個人レベルの葛藤の話と、世界を動かす策謀の話が入り乱れていた。そして策謀に巻き込まれたシンジは、葛藤によって閉塞してサード・インパクトを迎えた。
これは「良く分からない急激な流れ*1」に引き込まれた個人が、葛藤も許されず閉塞する話だったわけだけど、今回のエヴァはちょっと違う。「よく分からない急激な流れ」に立ち向かう話になるのだろう。それは間違いないと思う。
しかしながら「良く分からない大きな流れ」というのは個人が簡単に変えられるものではない。だから順風満帆には行かないだろう。
Qでは恐らく、急流に晒されるシンジが描かれるだろうし、四部(恐らくA)ではそれに立ち向かうシンジが描かれるのだろうな、と思う。きっとそれは力づよくもないだろうし、鮮やかでもないだろうし、スマートでもないのだろうけれど、きっとシンジらしく立ち振る舞い、シンジらしい答えを得るのだろうなーなどと思う。そしてその答えが、旧劇場版ラストシーンのシンジに向けたものであってほしいなぁなどと思う。

*1:というかstream