絶対とか相対とか
絶対視思考と相対視思考 - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
フィクションの読みに関して絶対と相対を適当に定義すると、
相対:
物語の読み方には唯一解はないと捉える
絶対:
物語の読み方には唯一解があると捉える
くらいになるだろうか。
僕の好みだと、唯一解があると仮定して議論を行い、結論は相対的でよいとしたい。
なぜなら相対だけで議論をすると話が発散し続けて収斂しないからである。
ついでに言うと「作者ごときが読者より面白い読み方を提示できるかよ」という気概で生きたいものである。
物語の読みに唯一解があるとすれば、それは作者の書きたかったものでもなく、読者の読みたかったものでもなく、「書かれた物」から「読み取れる」もっとも面白いストーリだろうから。