明大のシンポジウム行ってきた
メビウス、浦沢直樹、夏目房之介と豪華な布陣。
けっこうメモったので、適当に書き出し。
なお、鍵括弧でくくったところのみ、発言として受け取ってください。それ以外は、僕の編集が入っています。
メビウス
BD作家として有名で、作品を読んだことはなくても名前は知っているという方も多いだろう。
代表作に『ブルーベリー』や『アルザック』などが代表作。
日本のマンガにも関係が深く、大友克弘をはじめ、浦沢直樹、鳥山明、手塚治虫、宮崎駿にも影響を与えたという。
西部劇をモチーフにした作品が多いらしく、今回のシンポジウムの始まりは、
「なぜ西部劇なのか?」
という質問から始まった。
「20年間、なぜウェスタンかを考え続けた」
WW?が終わると、ヨーロッパにアメリカの文化が流入してきた。
多くのものが流入してきたが、その中に西部劇もあった。イタリアのマカロニ・ウェスタンが有名だろう。
もちろんフランスもアメリカの文化を受け入れていた。そこには多くの生活・思想の変化があったのだろう。
メビウスは西部開拓を
「テクノロジーがフロンティアを征服する」
時代だと述べていた。西部開拓の19世紀は、近代への時代であり、そこには大きな生活・思想の変化を感じるという。そしてまた、メビウスはネイティブ・アメリカンであるジェロニモを主題に近代との闘争も描いたという。
デッサン
ところで、現在のBD作品の位置づけは、日本のマンガよりアートに近い。
位置づけを確立した張本人であるメビウスは、マンガのような、アートのような作風をどのように確立したのだろうか。
メビウスが7・8歳のころ、彼の周りには二つのデッサンがあった。
一つは子供向けの絵で描かれたBD作品、一つは伝統的なアートである。メビウスにとって、どちらも身近なデッサンだったようである。
そして二つのデッサンを見ながら育ち、17・18歳になったころ、二つの道のどちらを選ぶか悩んだという。
BDかアートか。
しかし時のフランスでは、文化の変化がおきていた。大衆化である。
子供向けの作品を大人が楽しむ時代になっていた。
その背景を得て、メビウスは子供「と」大人を対象にした作品を描こうと考えた。そこには物語りがあり、絵があった。
物語と絵を統合するように、メビウスにとってBDとアートを統合させるのは必然だったのかもしれない。
しかし二極を統合することは、メビウスにも冒険だったという。ジャン・ジローからメビウスへと変わる間にすすむ統合は、デッサンの同一性を不安定にさせた。
絵描きにとって、デッサンとは身分証明のようなものであるにも関わらず、パスポートのようにただ単純に証明してくれるものではない。
変化するデッサンに「私であるか」と常に問いかけたそうだ。「新しい私が発見される可能性」と「私でなくなる可能性」の冒険だった。
そのようなスリリングな冒険である一方、メビウスは結びに「二つを一つにすることは楽しい」と述べていた。彼にとって読者とのコンタクトも二つを一つにするということなのかもしれない。
『俺がメビウスだ』by浦沢直樹
浦沢直樹が初めてメビウスと出会ったとき、
「メビウスは僕じゃないか?」
と思ったという。
浦沢が高校生のころ、自らの進む道はバンドでマンガは違うのではないかと思っていたそうだ。
そんな中、大友克弘の『ファイアー・ボール』、への評論でメビウスを知る。
浦沢はメビウスの中に理想を発見した。自分が腕を磨き続けて上手くなれば、いつかメビウスになる予感がしたそうだ。しかしながらメビウスがいる以上、自分がメビウスになってもしかたない、そう考えて自分の道を行こうと考えたと述べていた。
なお、浦沢直樹が語る番では浦澤のメビウス・コレクションの自慢にかなりの時間が割かれていた。曰く「コレクションを自慢しに来た」そうです。