所感

マブラブオルタの歴史性 - アセティック・シルバー
http://d.hatena.ne.jp/hasidream/20081103/1225660097

の感想。

 「現実」をどのように定義するか。以下は僕の定義。
 知覚したものと知覚していないものに分類して、合わせて世界と呼ぶ。世界に対する認識を「現実」と呼ぶ。つまり「現実」は知覚したものから、求められた世界の虚像だって定義。実像を「事実」と呼んでます。
 本論に返すなら「陰惨である」現実は、事実ではなく事実に対する個人の認識に過ぎない。さて、その上で「現実を見る」のは意義のある行為だと思う。なぜなら人間は現実を媒介にしてしか事実に介入できないから。
 なんでこういった遠回りが必要かというと、人間は現実しか認識できないことを認識するため。つまり事実における最善を選べないどころか、良いかを認識することもできない。つまり「よりよい未来」という事実を選ぶことは不可能なのだ。あるいは「現実を媒介にして事実に介入する」ことだって、不可能かもしれない。
 「正しさ」は「ある態度による正当性」だし。「よりよい未来」を作ろうとすることも、「世界に対する自身の態度の押し付け」なのだ。その傲慢を知った上での「現実を見ろ」「現実を変えろ」だろうな。
 などと思った。