mixiからその二。コードギアス感想。最終鬼畜皇帝ルルーシュはネオコンだったのか? みたいな話

 深読みしすぎなのは当たり前の話。
 ゼロ・レクイエムは三つの嘘の複合になっていて、

  1. 全ての悪を自身に還元する
  2. 贖罪
  3. 欺瞞

1は世の中に、2は身近な人に、3は自身にむけられたものです。
 1で社会的な、2で倫理的な、3で自身も含め、正当化をはかる嘘です。「世界を壊し、世界を創る」と言ったルルーシュは多大な犠牲のために、それを実行しました。あるいは実行しなければなりませんでした。創りたかった世界は「誰もが優しくなれる世界」です。そこで1が最も重要な機能を果たしています。全ての悪をルルーシュに還元すれば、文字通り「誰もが優しい世界」になり得ます。2でそれを知っている人が、その理想を目指すための指針として機能します。3で「その嘘に騙されてくれる人達」をつくり、優しさを受け取れます。だから死によって「俺は世界を壊し、世界を創る」という嘘をついて死ぬことができる。
 さらに言えば「悪」の対になる「ゼロ」を生み出したことで「ルルーシュの死亡の瞬間」以後に対しても、嘘を継続可能としています。その嘘の継承者がスザクです。ゼロもまた象徴であるがために不滅の悪の対たるかもしれません。
 つまりルルーシュはこの嘘によって

  • 誰も変わらなくてもいい
  • だが世界のあり方を変える

 という離れ業をやってのけたと言えます。
 この結果は、ルルーシュが世界に払わせた犠牲の対価足り得る*1でしょう。以上によりルルーシュの嘘を正当化することができます。

 つまりルルーシュの正当化が、ルルーシュの嘘によってどこまでも可能になるようにできています。
 谷口監督は、そういった嘘*2を視聴者についたわけです。なるほどその嘘に、自覚的にあるいは無自覚に騙されることで視聴者も気持ちよくなれます。
 つまり「ルルーシュの嘘」が「作品の嘘」になっていて、視聴者に問いかけてくる構造になっているんです。
 けど視聴者って「物語の参加者」ではないんですよね。「ルルーシュの嘘」によって、「作品」に騙されることは良いのか? それが僕が気にしているところです。

*1:人それぞれの判断はありますが

*2:フィクションに近い意味