とある飛空士への追憶
- 作者: 犬村小六,森沢晴行
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2008/02/20
- メディア: 文庫
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紹介?
物凄いネタバレしてる。
以上で説明が終わるというのも切ない話。さてはて、なぜ取り上げたかの話になると、
「おまえらセカチューに文句を言うくせに、こっちは絶賛なのか、その態度はどうなんだ。スウィーツ(笑)」
という気持ちから。
感想を言えば「面白かったから読んでみ」「読んだよ。面白かったね」でした。ラノベだけじゃなく色々と読めよ、そう思うのは僕だけでせうか。
ちなみに買って損はないし、読んだ時間分だけは間違いなく楽しめる。その点で言えば、作家の倫理的な責任も十分に果たしているし、作家にはあまり文句はない。ただ、本質的に、この人はこういう話を書くのは向いていないなとも思う。
この手の話はストーリーがべた過ぎて、作家にできることは細部だけとすら言える。だから神は細部に宿るし、細部で読者も評価してしまうのだろう。*1その細部への扱いが雑っていうか、拘りがないっていうか、要するにラノベらしい大味さが悪い方向に出てしまった作品だった。
なにが良くないのかというと、ファンタジーの強度が足りない点に集約される。それは異世界という幻想だったり、恋愛という幻想だったり。作品の根幹をなす幻想のディティールが弱いのである。そこがイマジン・ブレイクされていると、ちょっと残念な感想になってしまう。
具体的に何が足りなかったのかというと、ローマの休日でいう「ライター型のカメラ」だ。つまり、シャルルとファナが共有する、ファンタジーのイコン。二人だけで持てる秘密の暗号。その演出が非常に弱い。
この物語は「空」というファンタジーの場が、二人に「恋」*2っていうファンタジーを提供している。それをお互いが認識しているから、現実に還る物語として成立する。けどファンタジーを胸に抱えて現実に還っていくから、そのファンタジーが輝くわけだ。だから、二人がファンタジーをお互いがお互いだけ*3に伝えられることで、ファンタジーの輝きを保証できる。それがないというのが一番残念なところ。
あと、ちょっと批判されているっぽいエピローグに関してだけど、あれはローマの休日のラストシーンと同じ効果を狙ったのだと思うよ。人が退いていってグレゴリー・ペックだけが残される、そして足音を静かに響かせてってのは、たぶん、映画館から人がいなくなってひっそりと感慨にふける視聴者とのシンクロニシティを発生させる効果を狙ったものだと思う。
それを本に置き換えて読者の胸に感慨を残そうとしたと。ただそれをやるなら、ファナかシャルルのどちらかがやらないと、*4シンクロは起こらないだろうって突っ込みがあって、蛇足って言うか綺麗に締めようとして失敗したっていうか。最後に出てきた記者がファナに書かされた事を匂わせたりすれば良かったんだろうね。というわけで、ファナが実権を握ったあと、記者を抱きこんで書かせた本があれだ、って妄想して、頭の中で綺麗に締める。そうすると『とある飛空士への追憶』と入り口に還ることができて、読者も行って還る物語になって幸せだぜ!
なんか文句ばかりになってしまったけど、僕が文句を言うのは面白かった作品だけだぜ。ツンデレだからな。