とんかつ車

 感動した。食事で感動した。こんな経験を味わうことなんて滅多にない、今まで2度しか経験をしたことがない。一度目は親が作った鱧の吸い物、二度目は京都の旅館で食った懐石だ。三度目はまさかのカツ重である。口から光線を出せる気がしたし、食べてて涙がでそうになった。店の名前は「とんかつ車」、何気なしに入った店だった。
 友人と帰りに一緒に食事でも、そう思って明大前をぶらりと探索。駅から徒歩五分程のところにラーメン屋を発見、その二階に「とんかつ車」はあった。
 友人はラーメンが食いたい気分だと言っていたが、前もラーメンを食ったじゃねぇかと二階にあがる。人はあまりいない、小ぢんまりとした造りだが、綺麗なお店。雰囲気も少し上品ながら入りにくくはない。こういう店は大概うまいものだ。友人と「まぁ、当たりだろうな」などと言いながら店に入って席につく。
 カツ重950円とチーズロースカツ膳1250円で悩むが、友人も同じもので悩んでいたので、二人で分けるかと僕はカツ重、友人はもう一方、それと二人で中ビン一本を頼む。乾杯してから飲みつつ、ゲームやらマンガやらの話をする。civi4やってみたいんだけど、絶対ハマるし廃人一直線だよなとか言ったり、CLAMPの誰かがコミケで大暴れしたとか聞いたり、たわいない話を20分程。ちょっと時間がかかるなと思った頃に、料理が出てくる。*1
 お重と揚げ出し豆腐と漬物と味噌汁、それからデザートのりんご。*2950円なのに意外と豪勢だ。この時の印象は、キュウリと大根の浅漬けが美味そうだくらい。
 何気ない気分でお重を開いた瞬間びっくり、のりの香りが鼻腔に広がる。カツ重にのりは意外だけど良い香りだ、合うかもしれないと食欲をそそられながら箸をいれてカツをかじる、僕の心の中で誰かが叫ぶ。
「なんじゃこりゃあああああああ!!!!」
 となりで「美味い!」と歓声があがる。どう考えても言おうと思って言ったんじゃないだろう、脊髄反射だ。僕も気づかないうちに言っていたかもしれない。
 お米を口の中へ。美味い。お米もカツもタレがしみこんでいた。このタレは出汁と醤油やみりんなどの調味料とのバランスが素晴らしい。もう少し出汁が出ていると上品過ぎる、もう少し調味料が強ければ下品だ。針に糸を通すような、超絶的なバランスが口の中で広がり、カツとご飯と卵と混ざる。噛めば噛むほど幸せになる。
 友人に「やばい、美味すぎる」とお重を差し出し、換わりにチーズロースカツを一切れ貰う。こちらも美味い。チーズは良いものを使っていると思う。口の中に入れて噛めば、肉汁が広がりチーズと絡まり舌の上で溶けていく。このトンカツに関していえば、ソースをかけるのも、からしを付けるのも外道のすることだ。
 キャベツも貰う、甘くてシャキシャキしていて、ともすればこってりしているカツの味が残る舌をクリアにしてくれる。交互に食べたら、これは箸が止まらないだろう。
 さて、もう一度カツ重を食べ始める。甘くてしょっぱい物で、しかも外食である。普通は食事中に飽きてしまうものだが、不思議と飽きない。なぜだろうかと、舌に神経を集中して味を探る。ふつうのカツ丼にはない味がある。しいたけだ。しいたけとタレの味が口の中で混ざり、深い味を作っている。これは飽きるはずがない。
 二人とも黙々と箸を進め、食べ続ける。お互いたまに発する言葉は「美味い」だけだ。本を読んでいるときに夢中になるように、味わうことだけが頭の中をしめる。こちだも出汁と味噌のバランスが良い味噌汁も美味い。ほど良いつかり具合の漬物も美味い。揚げ出し豆腐のムチッとした触感は官能的ですらある。無我夢中で食い続け、米が数粒残るころになると、本の終わりにめくる手が鈍る時のように、惜別の感がある。少し切ない気分になりながら、お重の底にある米粒を一つ一つ食べていく。残った米粒にはタレがしみている。
 甘いりんごを食べる頃になると、店主がお茶が冷めているだろうと、いれ直してくれる。食後の甘味を楽しんで、お茶を飲む。タバコにも火を点ける。腹もいっぱいになったが、胸もいっぱいだ。胸焼けなどではあるはずがない、幸せである。
 マンガか何かに描いてあったが、食事とはセックスの前戯のようなものだと言う人があるらしい。戯言である。このような一時は、本番と同義だ。
 もしこれと同レベルの味を知りたい思うと、安いところで一品1600円はかかると思われる。異常に安い、というかあり得ない。*3京王線明大前の「とんかつ車」、東京周辺に住む人は是非一度足を運んでみてもらいたい。
地図
明大前のロータリーを右手に進み、交番やドトールが並ぶ道を歩くと、大通りにぶつかる。そこを右に曲がってしばらくラーメン屋があるので、その二階。*4駅から徒歩五分くらいのところ。

*1:一人で行くと辛いかも?

*2:うさぎさん。大将の顔とイマイチ似合わないが温厚そうな人柄だったのでOK

*3:技術のレベルと素材のレベルが釣り合っていない様にも思える

*4:ツケ麺屋さんも近くにあったと思うが、そこではないほうなのでご注意を