かうんたーばらんすを(ry

 全体最適化と責任について - もめんたむ ( 質量 × 速度 )
 素晴らしい。というだけなのもアレだなー、と思いつつ、ここでの僕のロールは文句言いにしかなり得ないのでどうしようかと思うんだけど開き直る*1。基本的に僕の読書への姿勢はマゾ入っているので、世界は厳しいのである→よって読者として踏みにじられたい、という思考回路が出来上がっているのを、前回のアレで自覚したし、こりたので、そこはスルー。*2
 記事の何が素晴らしいかと言うと、ネギまのここのところの動きから、作品構造にまで突っ込んでいる事だ。
 特に最後の方の

原因としての「自分の弱さ」が表面的な「みんなへの心配」を発生させている様です。例えば誰かが死んだ場合には「自分の弱さ」を責め続ける結果になるでしょう。
ネギは、みんなへの心配をしているようにみせかけて自分の弱さを責めてグジグジするヤツのようです。この辺りを過去と絡めた考察をしているのがマクロ系サイトさんなので、私は手を出さないのが吉でしょう(笑)
 
直接に助けに行ければいいのですが、現状ではそれがままならない状況です。

強くなろうとしているのは、直接助けに行くことへの代償行為になっているようです(D→A→C)「強くなろうとすること=心配していること」なんですね。それってちょっと責任逃れ的なことになるわけです。

 この辺。

例えば誰かが死んだ場合には「自分の弱さ」を責め続ける結果になるでしょう。

 ぶっ殺せ系の人達*3は、多分これが鼻につくのだと思う。「自分が弱い」ことを全ての原因にしていて、自分の殻の中に閉じこもっている。それで良い時もあるけど、今はそうじゃない。それが致命的な間違いであることに気づかせるために、殻をぶち破るために、ぶっ殺せ、が出てくるのだと思う。
 ただ、ここで意見が別れるのは当り前の話で「ネギはまだ十歳くらいの未熟者」*4であることと「トラウマがある」ことによって、作品がフォローしているし。
 で、僕はここ最近の連載読んでて違和感があったのが、ネギの中の人が違う人になってない? ということで、ネギが外見に引きずられたのかしら、などと思っていたんですが、これは読者が外見に引きずられているのかもしれない。大きくなったので、自分のことばかり考えられる状況じゃないんだから腹くくりやがれ! というのが強くでてくるな、と。
 それの最たるものが、フェイトについて考えるシーンです。動機がやっぱり他人の為に強くなるのではなく*5「自分の弱さ」を否定したいところにある。つまり言っていることと心の中が乖離している。そこが責任逃れにみえる部分。
 そしてフェイトが出てくるのも疑問なんですよね。フェイトって本当に敵なのか? という。ここら辺から石化という過去の問題が出てくる。これ以上はやっぱりマクロ系サイトさんなので、僕も手を出さないのが吉(笑)。
 私心なく世のため人のため、自分のために働く人=マギステル・マギなのかなーなどと思うのでした。どっとはらい*6

*1:というかネギ関連はもう弄りたくないとか思ってた

*2:セックスはサドなので、痴人の愛を読了した瞬間、壁に投げつけたけどね。素晴らしい小説でした

*3:僕じゃないよ

*4:設定は考えるのに必要じゃなければ、どうでもいい人間なんです

*5:状況が状況なのに

*6:どっとはらい、って一体何なんだろう