ディバイデッド・フロント「物語の目的」

#ちょっと纏め切れそうにないので、適当に細分化しながら。

  http://d.hatena.ne.jp/hasidream/20071204/1196747854を読んで疑問だったのが、マッチョイズムの回帰だったのかな? ということです。その違和感について、ちょろちょろと書いていきます。
 
 物語は「目的」があることによって、構造が形成されることが多いです。例えば、マブラブオルタナティブでは「BETA」の駆逐と、それを達成するために必要な成長するための構造、がそれにあたります。
 そして、目的は大概「問題を解決」することによって達成されるのですが、ディバイデッド・フロントには「問題を解決」するという目的は用意されていません。これは三巻において初めて、レッド・キャップを倒すという目的が与えられる訳ですが、達成しても「絶望的な状況」がひっくり返されるわけではないのです。
 よって成長しても意味がないじゃないか、という悲観的な結論に陥ることも可能なわけですが、そうすると成長物語として成立しなくなってしまう*1。しかし、ディバフロは成長物語としていて成立している。
 成立させるために「世界が絶望的な状況である、そして人が絶望するのはその人間が弱いからだ」この結論は非常に一般的で、正論ではあります。が、このような克己主義的で教条的な言説は、元来自己の内部でのみ行われるべき議論ですし、他人に言う時にこれほど無責任な言葉もないでしょう。*2
 この正論って論理として正しくても、実際的ではありません。個人や小さな集団は、社会という巨大な集団の影響を受けやすく、逆は難しい。そうすると、正論かますだけじゃ説得力がないわけです。
 「弱さを抜け出す意志を持て」と言ったところで、意志がないから弱い人間なのです。この発言は「弱い奴は死ね」という議論と同形になってしまう。これは「弱肉強食」の肯定であり、人間の歴史からみると思想的後退とすら言えるでしょう。
 何が悪いかというと、第一次世界大戦第二次世界大戦によって行われたことを考えれば良いだけです。人間は弱肉強食では絶滅してしまうほどの強さを持ってしまった。
 そして暴力のコントロールに戦後力を注いできた一方、もう一つの戦争を生んできました。経済による弱肉強食のコントロールは上手く働いていないと言って差し支えないでしょう。*3
 また、資本を持っている人のほうが、持たない人より金を稼ぎやすいというの事実があるため、弱者が強者に成長しにくい世界です。もし弱者が強者になろうとするなら、最も早い道は獣性へ回帰することと言えるかもしれません。
 しかしながら獣性に回帰するということは、強者が弱者を踏みにじることを肯定することへも繋がります。マクロに見えれば社会階層の流動性が低い世界と言えるかも知れません。階層の流動性のない世界より、ある世界の方が発展しやすいでしょう。*4それがマクロ的な問題。
 そしてミクロに置いては、階層の流動性がなければ下層の人は諦観を抱きやすい。それでも絶望しないために必要なものがなんなのか? それが語られることによって、初めて「絶望的な状況と絶望することは違う」と言えるのではないでしょうか。

*1:エヴァは成長せずに自己肯定で終わりましたね

*2:告発する必要性は感じますが、現在巷に溢れているんで必要はないと思われます

*3:ほんとに?

*4:歴史からみるとそうなのですが、技術革新もあるためどうなのだろう。経済学とかの視点からじゃないと語れないことですね