昨日の記事についてちょぼちょぼ

 論文調で物事を書くと何が良いかって穴が一目瞭然なことだなー、と思う。
 どんな記事書くにしても、まず論文調で草稿を作ったほうがいいのかも。
 論文調ってなによ? というと、要するに言いたいことを頭にもってきて、句点で〆たら次から補足。補足が終わったら次のインデント。最初は面倒くさいけど慣れると簡単。本当はもっと奥深いのかもしれんけど、それを意識するだけで効果はでかい。意識的にやらなきゃいけないから面倒くさくはあるけど。
 で昨日の記事でほったらかしにした穴の一つについて。「強い読み取り」ってどっからが強い読み取りなんだよ、と言う話。
 そんなの自分で決めてください、以外に結論はないと思われる。いや議論する価値はあると思うけどね。たくさんの意見がでれば、ある程度の基準になりそうなところは曖昧でも見えてくるだろうし。ただ、その議論に参加する人達は大抵、読み取り能力の高い人だと予測されるのでサンプルとして歪(笑)。
 自分がどこの位置にいるかわからないから、自分の足りないところを補おうとしていくことが大切じゃないかなと思う。伸びているところは放っていても伸びるもんだし。無限の努力を求める話ではあるから、やっぱ結論は愛だよね。
 実際にまだまだ本を読み取る能力が僕には足りないなーと思う。そもそも教養が足りない。知識も。本当に全てのマンガを十分に理解しようと思ったら、あらゆる事象に見解をもてるだけのバックボーンが必要になる。例えば物理を持ち出してくると、物理の式を全て理解しているだけでは足りない。その式に至るまでにどのような議論がなされてきて、そのような見解が導かれたか、そこまで理解していないとやっぱ見えてこないこともある。
 知識だけでも足りないかもしれない。実生活の経験を十分に満たしていないといけないかもしれない。
 「強い読み取り」を完璧にしようとするのは実際には無理だということ。ただ、それでも色々なことに一定の見解をもてるようにする努力はやっぱり愛だとおもうなー。僕はマンガが好きだし、生活の全てを捧げるわけにはいかないけど、より豊かにマンガを読みたいと思うから、完璧な読み取りを目指したいものだなー。不可能だとわかっていても、自分に可能だと思うところまでは行きたいものです。案外、他のことにも役にたつしね。
 ところで、読書右翼とか読書左翼とか適当にラベリングして対立を煽ると、少しは全体のリテラシーがあがるんじゃないかなと思うんだけど、どうでしょう? というわけで僕は読書右翼を名乗ってみるのでした。ちゃんちゃん。