カラミティナイト――オルタナティブ――

 

災厄の夜に踊れ、騎士たちよ
 

 ハルキ文庫より出版されていた『カラミティナイト』という本がありました。『カラミティナイト』は三巻まで出版されましたが、諸事情あって残念なことに続きがでることはありませんでした。
 しかし『カラミティナイト』は全編が改稿され、『カラミティナイト――オルタナティブ――』と銘打たれ再刊されたのです。

カラミティナイト――オルタナティブ―― 高瀬彼方
 作家になることを夢みる女子高生・沢村智美、元気印のスポーツ少女・櫻井優子、高校に入学した二人は席が近かった。かたやインドア系、かたやアウトドア系で、なかなか交わりそうにない二人をインターネットが友だちにした。
 学校でのたわいない雑談や、放課後の寄り道、夜にはメッセンジャーでお喋り、ごく平凡な生活を満喫する二人だった。だが、ホリィ・ブロウニングと出会いによって、穏やかな日常は破局する。
 智美はクラスで孤立するホリィと自分の過去を重ね、近づこうとする。ホリィは冷たく智美を拒絶したが、智美はホリィの過去を知ることで心配を募らせていく。その心配は、日常の終わり訪れさせた。
 『災禍の心臓』
 世界を呪い、人を呪うそれに、彼女たちも呪われたのである。
 呪いは災いをもたらす一方で、力も与えた。力は狂気を糧にして、ありえざる異能として現れる。狂気は夢、すなわち智美が書き、そして捨てた小説である。彼女の想いが込められた断片は、呪物になって狂気と戦う狂気となる。
 戦いの中で少女達のエゴイズムは晒され、時に批判され、時に処断され、時に誤解され、傷ついていく。いっぽう著者によって「悪役」と定義された存在もまた、世界に抑圧されたものたちだ。だから彼らは慟哭するのである。慟哭は世界へと還り、世界の一部になる。そして新たな慟哭を呼ぶのである。
 いくつもの重ね合わせによって、世界は閉塞していく。閉塞と、閉塞の中で生きる人々の手によって『カラミティナイト』の幕が開く。
 災厄の夜の中で、智美と優子は敵に立ち向かっていく。だがお互いの心を知ることのできない彼女達は、傷つき傷つけあう。それでも二人は互いの小さな手をとりあいながら、前へ進もうとする。行く先の閉塞を突き破るために。

エゴイズムによる動的な関係性

 関係性は物語りの妙味である。カラミティナイトでも、さまざまな人間模様が描かれている。カラミティナイトの関係性の描かれ方で特筆することは、一人のキャラクタが見せる顔の豊かさである。人は相対する人によって見せる顔を変える。カラミティではそれが当然のように描かれているということだ。
 さもすればキャラクターの一貫性が失われるようで下手にもなりそうだが、カラミティでは魅力となっている。これは、すべてのキャラクターが自らのエゴイズムに基づいて行動しているからだろう。それぞれがそれぞれのロジックで動いている。
 ある者は人を慮り口を閉ざし、ある者は孤独を恐れるために人を遠ざけ、ある者は自らの衝動に従う。過去に生きる人間も、世界を怨み生きる人間もいる。聖人君子など一人もいない。
 善や悪の相対化によってではなく、キャラクターに陰影が与えられている。だから、同情できるキャラクターなど一人もいないし、同時に理解できないキャラクターもいない。ただ、それぞれがそれぞれの狂気を抱えて夜を行くのである。
 一巻と二巻を読み終えたあとに、気持ちよさを感じる人は少ないだろう。それは人間の狂気=エゴイズムを晒されただけだからだ。だがエゴイズムという言葉だけで、人間を否定することはできない。それはカラミティを読めばわかるはずだ。
 エゴイズムによって歩む少女たちは重い足取りでどこへ行くのか、その先を見てみたい。
 まだ災厄の夜は終わらないのだから。