到達点ではない

 感心しない思考法。

 共通するのは、思考的に引きこもりだということ。
 自分が認識できるのは、自分が認識したものだけ、なのは事実だけれど、重要なのはそこではない。三重の円にしてみれば分りやすく「人間に認識可能なもの」>「他人が認識しているもの」>「自分が認識しているもの」*1と自分の認識のお粗末さを知るために唯我論や相対主義は存在しているのだと思っている。*2
 出した三つは、他人は価値ある存在であるという前提に立たないと、自己を肯定するためだけのツールとなって、オナンの地*3へ安住するだけになってしまう。「それで構わない」とする向きの方には、理屈で自己肯定しようとしないでくれ面倒くさいから、とお願いしたい。*4
 じゃぁどんな思考法なら脱け出せるんだよ? と聞かれても答えは知らない。手法としては「対話」や「実践」ってのは有効でしょうね。
 後は「楽しむ」ことかな。この手の話がなんとなく分ってしまう方は楽しようとすると、楽しめないのでしんどいだろうなーなどと。他人事ではないんだけどさ。

*1:厳密には、自分の認識が他人(全て)の認識を超えることは、ほぼないって話だけど

*2:社会的な価値として

*3:笑うところ

*4:自己肯定が悪いと言っているのではなく、理屈と結びつくとうざいって言ってます