国富論

国富論 1 (岩波文庫 白105-1)

国富論 1 (岩波文庫 白105-1)

国富論 アダム・スミス
 ゆっくり読んでいるのでメモ。実に面白い。一章と二章。

分業の発生と性質

 分業による作業の単純化による効率の向上。例はピンの生産から。すなわち分業により供給が増大し、国民に十分に行き渡る。職人*1の技量上達の向上と共に質の向上をつくる。
 供給の増大は学問を生み、学問は工夫を生み、工夫は供給の増大を生む。*2
 ある種の作業は、分業ができないことがある。季節などに左右される農業が例。一つのことに拘束されても生計が立てられないから?
 分業は人間の交換から生まれる。弓矢を作る人と狩猟者は、弓矢と皮や肉を交換する。職業的分業? ピンとは語られる領域が違うかも。

疑問点

 人間は無目的な単純作業に耐えられるか? ピンなど完成形の見出せる作業に対して、複雑化した工程では全体像が見えないケースがあると思われる。理想的な分業の単位*3は?
 分業による組織と個人の戦略的ミスマッチ? 差別化の選択肢として、集中と万能の二択があると思われる。前者は競争が発生するのでしんどいし、柔軟性が低い。後者は汎用性、柔軟性が高い一方、器用貧乏で終わる可能性高い。集中戦略の方が経験則的に分は良さそうだが……。テクノロジーの進歩が早いしね、今。
 個人は差別化を測りたいが、組織は差別化を許したくないはず。この視点からだとダイバーシティが唱えられるのが何故かわからない。差別化された個人の連結を生み出す組織が、組織としては一番魅力的に移る? 「優秀な人間」を差別化が測られた個人であるなら、納得。
 差別化戦略が叶わない場合、コストリーダーシップ戦略をとらなければいけない? → ワーキングプア
 「労働者」と「職人」と「資本家」*4の三分類になるかもなー。労働者と職人の違いは「代替可能性」くらいかね。労働者→職人→資本家というCC*5 がちょっと前での一般的な夢だった気がする。

メモって雑感

 個人的に「経済活動を行うこと」は「人類普遍の正義」だと思っている。ただループっぷりが人をむなしくさせるのも現実だな。人類が「精神的、物質的に豊かさ」が獲得し「豊かさが将来の豊かさ」を作るループを生み出すことはできないもんかな。社会生活を営むことが、人類を豊かにするって実感と実際を作るにはどうすれば良いんだろうな。経世済民という言葉は好き。あらゆる個人の欲望が全体の欲望を達成する助けになる世界はユートピアだな(笑)。ユートピアだなと思った瞬間にむりぽと思う。
 ユートピアは作ることができなくても、近づけることはできるはず。ちょっと考えたいなぁ。

*1:労働者との区別がなされている

*2:一次・二次・三次産業との関連あり?

*3:つまり動機形成と機械的効率のバランス? 循環参照的な関係性がありそう

*4:資本家よりも貴族か?

*5:しーつーじゃないよ。クラスチェンジだよ