物語的必然性

 長年マンガを読み続けてきたせいか、物語にはある種の必然性があるように感じられてならない。それは作者の意図であるとか、AだからBであるとか、そういったものではないし、キャラクターが動き出す、といった作家側の理屈でもない。
 物語が物語に物語ることを求めているように見える感覚だ。つまり特定の物語(the story)が、その物語であるために、物語が展開されているような錯覚だ。いわゆる歴史に残り、今でも面白いといわれ続ける作品には、このようなものが多い。おそらく、作家の意図であるとか、創作論であるとか、読者の要求であるとか、社会情勢とか、そういったものを超越してできあがってしまう作品なのだろう。
 
 ここからはかなり妄想の話。
 きっとどこかに『物語の国』なるものがあって、この世に出版される物語は、そこに住む物語の影に過ぎないのだろう。つまり作家とは『物語の国』の住人たちを写し取る人たちなのだ。その作家たちの中から、たまに『物語の国』の住人に、物凄い接近する人がいて、そのまま連れてくることが出来るのだ。
 そして我々読者は、その物語のコピーを楽しむとき、『物語の国』の必然性を感じ取ることができるのである。