沙耶の唄 たった一つの冴えた萌え方

沙耶の唄とは

 ニトロプラスから発売された18禁のノベルゲームである。このゲームの特徴をいくつかあげると、短い、エンディング数は少なく三つ、文章は淡白で読みやすい、人によってはグロイかもしれない、ヒロインは一人だけ、そのせいか安い。という按配で、昨今のエロゲーの傾向とはやや違う方向性の作品だ。時間があまりない方や、エロゲーを初めてやる人にお勧めしたい作品だ。
 音楽、ストーリー、グラフィックスが一つになって雰囲気を作り上げていて、上質の作品である。*1

ストーリー

 医大生である匂坂郁紀*2は交通事故で家族を失う。いや失ったのは家族だけではない。彼が病院のベッドで目覚めて見た世界は、あらゆるものが肉塊に覆われていた。壁、ベッド、机、カーテン、そして人までが醜悪ななにかに変貌している。
 視覚の認知障害だった。そして視界に合わせる様に、音も臭いも肌触りも――セカイはすべてが歪んでいった。彼の五感に友人は存在しない。全ての人は奇形の怪物でしかないのだ。そんな日々の中、一人の少女と出会う
 ――沙耶。
 歪んだセカイの中で唯一まっとうな姿をした、美しい少女。郁紀のセカイで唯一の人間。もはや彼にとって、自身と沙耶以外の存在は邪魔なものでしかない。
 二人の、世界を侵す恋が始まる。

魅力

 ストーリーを読んだ瞬間、手塚治虫火の鳥を思い出した人がいるかもしれない。察しの通り、明確にオマージュした作品であるが、火の鳥が美醜にテーマを置いたのに対し、沙耶の唄では異端である「私」、というものにテーマが置かれている。
 人は自身の主観の上でしか生きることができない。そして他者との共感が失われた時、自身が異端であることを自覚し、永遠の孤独を知る。それは人類が自我を持ったときからの絶望的な宿命だ。
 無論人の意識は、常にこの絶望に囚われてはいない。だがふとした時に訪れる恐怖は、社会と人との溝が深まった現代において、個々人に一層自覚されている。郁紀のセカイは、孤独という怪物に囲まれた世界なのだ。それを正面から描くこの作品はまさに「ホラー」だ。
 だがもし、異端である「私」と同じ人がいたら? そう郁紀に孤独な世界に唯一無二のパートナーを見つける。沙耶。そして彼女もまた、絶対的な孤独に囚われた少女だ。そこには性別、いや種族さえ超えたシンパシーが生まれるだろう。その関係性は、「私」にとって限りなく絶対的な共感であり、社会にとっては限りなく純粋な狂気となる。
 異端が狂気となった時、世界はその存在を許さない。ならば彼と彼女に許された道は二つに一つだ。世界から排除されるか、その関係を断ち切るか。だからこの作品のエンディングは三つなのだ。それに注意してこの物語を見つめて欲しい。

少しメタな視点から

 「さやってる」という言葉がある*3。創作の一つのジャンルが萌えに覆われていく様、覆われている様を指す言葉だ。
 沙耶という少女を「萌え」の象徴として捉えた場合、日本の現状へのユニークな視点としての作品象が見出される。世界が醜悪な肉塊にしか見えない郁紀=オタク。そしてその世界で見出した沙耶=萌え。そして二人を結ぶ関係は狂的な恋愛だ。その物語が語られる媒体はエロゲーである。排除される異端と、排除しようとする普通の人たち、では排除した彼らが迎える結末はなんだったろうか? 記事の最後に、イタリアのことわざを引こう。

我々はみんなどこかおかしい

*1:そもそも僕は、大抵のエロゲーは長すぎると思っている。コントロールでがんがん飛ばすし

*2:さきさか ふみのり

*3:僕以外に使う人をみたことがないし、僕も初めて使うが