リンドバーグ

リンドバーグ 1 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

リンドバーグ 1 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

面白いんだよね。なにが面白いのか良く分からないので、記事にしてなかったんだけれど、非常にイイ。
なにが良いんだろう。

ダブルミンツ

ダブルミンツ (EDGE COMIX)

ダブルミンツ (EDGE COMIX)

一月くらい前に読了。
非常に不毛で面白かったんだけれど、読後感がなにかに似ているなーと思っていたら、ふと先日思い出した。
蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)

田山花袋の蒲団でした。
つっぱてたら女の子に逃げられて、その女の子が使ってた蒲団をクンカクンカして終わるお話。
うん、そりゃなんとなく読後感が似てるはずだ。
両方とも面白いですよ。

追記

あ、そうだ。ダブルミンツはBLです。
友達は「なんか違うものだよ」と言っていたけど、よくわかりませんのでBLっていっておくとわかりやすいです。

神樹の館

休日一日でなんとか終わった。よかったよかった。
もう一人くらいヒロインがいても良いんじゃないかな、とボリュームにはちょっと不満があったけど、
おおむね良作でした。
 
マヨイガ」のお話。行きては還る物語。寓話の世界だね。
やりたかったことはたぶん、螺旋階段をくだっていくように物語を体験させること、だったと思う。
竜胆以外の三人が一番外側で、館の内側に潜っていって竜胆の話に行き着く。
螺旋階段の底で迷うのもよし、還るもよし。
 
春→夏→秋の順番で(たまたま)クリアしたのはよかったな。プレイ順でだいぶ印象変わりそうね。
気になるのは双子の話。工月が館を乗っ取ったような? ちょっと解釈にあまる終わり方。
そこらへんから紐解いていくと、ちがった印象を得られそうな気もしますが、だれか面白いレビュー書いてないかな。

あんまり力をいれずに半分眠りながらやるくらいの力加減でのんびりプレイするのがよろしいかと。

思いつき

エロゲー業界のメタファーとしての神樹の館、という話をしたら面白いんじゃないかという気がした。
「いや、お前らそろそろ樹から解き放たれろよ」っていうロミオのツッコミ。

エロゲーの批評について

人が楽しんでいることを、なんで楽しいのかも考えずに否定するのって頭がわるくね?ってお話。
いや、エロゲーの批評が楽しいの当たり前じゃんって話か。
 
論旨は以下
エロゲーは構造的にパラダイムシフトによる楽しさを提供しやすいものだということ。
パラダイムシフトってのは知性の働きで、構造の解体/解析とヒラメキによって成立していること。
構造の解体/解析は批評って行為をふくむこと。
よって、パラダイムシフトを楽しさとして提供するエロゲーは、批評によって楽しくなる。
 
もうQED、秋田で終わってもいいと思うんだけど、秋田で終わると評判が悪いので続きます。
 
ご存知のように、エロゲーというのは多く「マルチエンディング」です。いわゆる「○○ルート」という形式。
で、もっとも素朴な作品というのは同一世界観、同一キャラクターを使った短編集といえる形式。
一つのパッケージに複数の作品があるというのと同じ。
 
この一つのパッケージに複数の作品があり同一世界観で同一キャラクターってのは自然と、
複数の別個の話を一つの作品としてまとめるオムニバス形式になりやすい。
つまり並行するパラレルな話に相互作用をつくってパッケージ=作品にしようとするわけです。
 
他にもゲームと言う環境を使った構造レベルで同一作品とするやり方はいろいろありますが、*1
ゲームだけに非常に相性がイイんですよ。
そのせいか「構造」に対する遊びってのを深化させていった歴史がエロゲーにはあります。
古くはYU-NOとか。EVEってYU-NOよりあとだったよね? たしか。

そんなわけで、作る側の遊びにエロゲーマー*2達もよく応え、解体しまくったと。
それは批評であったり二次創作であったり、まぁ色々。*3
僕の半径5mの観測によると2000年代前半が一番盛んだったんじゃないかな。批評されるのが前提みたいな作品が多かった。

で、この構造による遊びによってどんな楽しさを提供してんだよって話になる。
例えば、殺害事件がおきる。犯人がいて被害者がいて、被害者の彼女は自殺した。スウィーツ(笑)。
この事件について、それぞれの立場でそれぞれが観測をする。
それは復讐劇かもしれないし、不条理かもしれないし、悲劇かもしれないし、あるいは喜劇かもしれない。
人はそれぞれの現実を通して事実をみるわけで、いっつも観測ってのはゆがんでる。
あるひとつの立場から見た事実を、別の立場からみれば別の事実になってしまう。 
 
観測地点を変えるのを繰返していくとですね、「見れないところから物事をみる」ということができるようになります。
つまり「想像の視点」を会得できるわけですね。心眼みたい。かっこいい!
 
さて、この想像の視点ってのは「単なる妄想じゃねーの」って話になるわけで、ここで批評の出番なわけですよ。
物語にも構造とロジックがあります。そうじゃないと電波としてしか認識できないからね。
この構造とロジックがいかなるものか? を分析してもっともらしい*4答えをえた上で、
答えを基盤に「想像の視点」を仮構したら? 
 
もっともらしい事実を観測できるようになります。
このもっともらしい事実が、与えられたどの観測地点のくびきから離れていて、美しいものならば、それはすごい感動ですよ。
霧の立ち込めた山を登っているとき、ふと視線をあげたら霧がさっと引いて、美しい山の景色が見えれば感動ですね。それと同じたぐい。
 
これがパラダイムシフトとその楽しさであり、パラダイムシフトを能動的に獲得するのにやりやすい手順が、今まで書いてきたこと=批評なんです。
 
さきほど述べたようにエロゲーってのは構造に遊びがあります。
パラダイムシフトを経験することで個別の物語が一つの物語へと生まれ変わるものだってあります。
逆に言えばパラダイムシフトを経験しなければ、一つの物語ではないということですらあります。
だから物語を獲得するための手順として、批評ってのは効果的だし、批評によって一つの物語が完成することだってありえます。
 
まるで「観測されなければ存在しない」ようでもありますし、
ロマンティックに言えば「作者と読者によって一つの物語を作り上げる」ってことですね。
そんなわけで考えてみて、楽しくなるならそれでイイじゃない。

秋田。

*1:ループとかね

*2:エロゲーマーってなんか響きがカッコいい

*3:批評って二次創作に分類されないのは不思議だよね

*4:蓋然性の高いとか書くと説得力があがりそうですよね

烙印の紋章

微SFファンタジーの軍記物。戦争ですべてを奪われた少年剣奴が、策謀に巻き込まれて皇太子の影武者となり、英雄としての道を歩むというお話。
 
世の中には「おおきなもの」がありますよね。国家でも、運命でも、歴史でもいい。
そういった「おおきなもの」は蜃気楼みたいにあやふやでハッキリと見えないものなのに、確実に人を支配する。
「おおきなもの」に巻き込まれたり、流されたり、そして流されていることすら気づかないの普通です。でも、そういった「おおきなもの」に巻き込まれる自分を知ったら、やはり不快ですよね。
烙印の紋章』は戦争で「おおきなもの」にすべてを奪われた少年が復讐を誓う話です。復讐の相手は村を焼いた将軍なのか、国家なのか、それとも人を殺す戦争なのか、あるいは運命なのか。それはわかりません。
ただ「おおきなもの」を知って、対峙しようとする。それだけで物語は実に魅力的に輝くのが不思議です。
作者の方がもとはSFから本が好きになったということですから、「自由意志」にまで踏み込んで話を書いてくれるのではないかなと期待しています。
この先も面白い話が広がっていくといいな。

アホリズム

おもしろい。人がばたばた死んでく。
一話目で「変身願望をベースにした成長物語」だと思ったのですが、そうでもないみたい。
大まかなお話は、空に浮かぶ島が見える少年たちをあつめた学校で襲いかかってくるモンスターたちからサバイバルする、というもの。
話のつくりの印象がデッドマンワンダーランドに似ている。
デッドマン・ワンダーランド 1 (角川コミックス・エース 138-8)

デッドマン・ワンダーランド 1 (角川コミックス・エース 138-8)

入学直後のガイダンスで各々が好きな漢字を一文字、それぞれに与えられるんだけれど、それがモンスターと戦う力になります。ラノベでいうと学園異能バトルってやつですね。
文字によって色々な力があって、主人公が選んだのは「変」だった。最初、ヒーローに変身するかとおもったよ。(イケメンに変身しました)
んで、四巻にでてくる女の子が「いう事を聞かす力」ってのを持っていたんですよ。この女の子は「正」って漢字を持っているんですが、「征服」って意味があるらしいのです。
この「征服」みたいなパターンで、「変」も違う意味として使っているんではないかなー、とか。
ピンチになると主人公が「変われ」って念じてイケメンになるんだけれど、現象的には「代われ」って感じなんで、そこが鍵になるのかなーとか思ってます。
ただ、四巻つかって話の展開がこれだとちょっとテンポわるくないかなー、とか。もっと短いサイクルで回して欲しい。